辻惟雄(7)東大受験 画家の夢より父の期待 理科2類めざして猛勉強|私の履歴書|日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO67957170X00C21A1BC8000
「学校にはエンヤ君のほかに知り合いは誰もいない。何しろ相も変わらぬ引っ込み思案な田舎者だ。江頭君のような大人びた生徒がたくさんいるから気後れして、話す相手もほとんどいないまま、おとなしくしていた。
そんな中、ひとりだけ話しかけてくれたのが大宅歩(あゆむ)君。中学でラグビーに打ち込んだハンサムな貴公子だ。「君の良さが分かる人間は僕しかいないよ」。彼はそう言ってくれた。評論家でジャーナリストの大宅壮一氏のひとり息子、妹が大宅映子さん。
優しい歩君は一浪して東大に入り、銀行に就職したが、ラグビーで頭をケガした後遺症に悩み、30代前半で亡くなった。ショックだった。残念でならない。」
「大宅歩」の名前が出てきてビックリした。
大宅歩は、1966年に33歳で亡くなった。
その年、遺著「詩と反逆と死」が出ている。翌年には「ある永遠の序奏 遺された詩文集」も出版された。2冊とも熱心に読んだ。
残された文章の中で、大宅歩が父・壮一の代筆で書評などを書いていたことが明かされていて、ビックリしたことを憶えている。
この記事へのコメント
暇な人
それは
どこに書いてありますか
薙野信喜
「優しい歩君は一浪して東大に入り、銀行に就職したが、ラグビーで頭をケガした後遺症に悩み、30代前半で亡くなった。ショックだった。残念でならない。」
とあります。